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ディアーヌ・ド・ポワティエ・・・
「月の女神のダイアナ」という意味にふさわしい
彼女は1449年、仏中部の町ポワティエの貴族の娘として生まれた。
16才の時にノルマンディの領主ルイ・ド・プレゼ伯爵が
ポワティエを訪れ、美しいディアーヌを見て一目惚れ、
プロポーズをする。
伯爵は56才であったが、ディアーヌは夫が亡くなるまでの16年間を
平和に過ごした。
1525年、フランス国王フランソワ一世がパヴィアの戦いで敗れ
ローマ帝国に捕らわれるが、釈放の条件として皇太子を人質に
出す事になった。
ディアーヌも二人の少年にお別れの挨拶に出向くが、そこで8才の
アンリニ世は20才年上のこの美貌の夫人に激しく恋心を覚えた。
夫のプレゼ伯爵が亡くなるとフランソワ一世はディアーヌを
寵愛すしたが、彼が亡くなると王位についたアンリ二世は
ディアーヌに父の別荘であったシュノンソー城を授ける。
この時 アンリ二世30才、ディアーヌは50才であったが
その美貌と才知は衰える事無く、アンリに世を魅了した。
アンリ二世は14才のカトリーヌ・ド・メディチと結婚するが
ディアーヌへの愛は変わらず、二人はシュノンソー城で
逢瀬を楽しんだ。
だが1559年、スペイン国王とアンリ二世の娘エリザベートの
結婚祝いの騎馬試合で近衛軍指令官のモンゴメリ伯爵の
槍先がアンリ二世の眼に突き刺さり、その傷が元で
彼は40才で死ぬ。
それまで夫の愛するディアーヌへの嫉妬を隠していた
していたカトリーヌだが、「直ちにシュノンソーから
出て行くように」とディアーヌをショーモン城に放逐
するが、ディアーヌはそこに長くは居ず、1年後
パリ近郊のアネ城で亡くなった。61才であった。
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