ミュンヘンの南西にあるスタルンベルク湖の岸辺から数歩足を踏み入れた所に1本の 十字架が立っている。1886年6月13日、ここでバイエルン国王ルートヴィッヒ二世は 謎の死を遂げた。

1945年8月25日、ルートヴィッヒはミュンヘン西部のニンフェンブルク城で誕生
した。 祖父ルートヴィッヒ一世は現代芸術庇護者であり、ミュンヘンにギリシア、アテネ 建築を再現しようとミュンヘンは巨大な建築現場と化し、有名な建築物のイミテーションが現れる。 ニンフェンブルクにある美人画廊も自分が讃嘆した
36人の美女を画家シュテーラーに描かせた物である。 ルートヴィッヒは幼年期ホーエンシュヴァンガウの城で母と共に暮らした。 バイエルン高原の向こうに
壮大なアルプス連峰が見え、森に囲まれたアルプス湖と白鳥湖がある。
父マクシミリアンが建てたこの城は外観はネオゴシック様式、内装は中世の物語絵巻が色鮮やかに 繰り広げられている。
芝居がかった装飾への趣味、くどいまでの風景の描写は幼いルートヴィッヒに 多大な影響を与え、生涯こしらえものの世界、見せかけの遠景の中で暮らす事になる。 それはまた彼の妄想となり、極限まで追い求めるのである。

6才のルートヴィッヒを描いた絵の一枚で彼は白鳥に餌をやっている。
白鳥は彼の心を強く捉え 白鳥の絵を描き始める。白鳥は生涯を通じて彼の
伴侶となる。少年時代の彼を捉えたのは 積み木による建築と仮装である。

ルードヴィッヒはエリザベートと同じくヴィッテルスバッハ家の血を引き、
その運命の化身である。 ヴィッテルスバッハの歴史は古く、ヨーロッパを支配
する大家には必ずこの家の出身者がいる。 1124年ヴィッテルスバッハと
バイエルンは関わりを持ち始め、それ以後この家の人々は芸術を愛し、
豪華さを好んだ。ヴィッテルスバッハ家の遺伝は狂気、メランコリー、耽美主義であった。

16才のルートヴィッヒはワーグナーとの運命的な出会いをする。
ワーグナーは彼の人生に異常なまでの 執念を生む。
政治は全く関心をそそられず、彼は夢想に逃げていた。成人したルートヴィッヒはタクシス少尉に 深い愛情を感じるがタクシスは自分の将来への影響を考え
躊躇する。ルートヴィッヒの初体験は 同性愛であった。

1864年父マクシミリアン二世が逝去し、ルートヴィッヒは王となる。
1867年新王はかねてからの憧れであったワーグナーと謁見する。
そして借金まみれのワーグナーへの 厚い擁護が始る。しかしワーグナーの
柔弱遊情に流れる浪費はやがてジャーナリスト達の攻撃を招く。
反感はやがて国民に広がり、ルートヴィッヒはワーグナーへの友情か国民への愛情を取るか迫られる。 苦渋の末ワーグナーを追放したルートヴィッヒは
生きがいを犠牲にしたのである。

その頃勃発したプロイセンとビスマルクの間で孤立するバイエルンを
ルートヴィッヒは消極的態度で 王国と国民を救う。

大叔母であるバイエルン公爵夫人の娘エリザベートとルートヴィッヒはすでに
理解と共通点による愛情で結ばれていたがエリザベートの妹ゾフィと
ルートヴィッヒを近づけたのは ワーグナーであった。ゾフィは密かにワーグナー追放を憂うという手紙をルートヴィッヒに出し、 彼はゾフィとの結婚を決める。
が二人を結ぶ物はワーグナーでしかなく、ルートヴィッヒはゾフィを通じて
ワーグナーの作品のヒロインであり、それはエリザベートに似ている女性の幻でしかなかった。 ゾフィとの婚約解消の原因はルートヴィッヒの同性愛であった。ゾフィはアランノン公フェルディナンと 結婚するが30年後パリの慈善バザーの
火事で自分を犠牲にして他の女性達を救った。

結婚を諦めたルートヴィッヒはその後の半生を夜という名の王国で夢の中で
生きることになる。 ビスマルクのドイツ統一を迫られる中、ルートヴィッヒの
気がかりは構築中のノイシュバンシュタイン城 とリンダーホーフ城であった。
ルートヴィッヒは次第に常軌を逸した行動を始めたという噂が流れる。
弟オットーはすでに狂人になっていた。 国民は王の姿を見る事が無くなった。
王の城構築の膨大な出費に悩む政府は序々に王排斥運動を始める。
ついにルートヴィッヒは 陰謀によって診察を受ける事も無く精神科医
グッデン博士によって狂人と診断される。王はリンダーホーフ城に幽閉される。 1886年6月13日の午後4時半、王は湖畔に散歩へ出かけたいと言った。
共はグッデン博士一人であった。
8時半王とグッデン博士失踪の知らせに、二人を探す召使の一人が湖に
浮かぶ王と博士を発見する。
二人の死は今でも謎のままである・・・

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